本コラムは、2026年2月6日の「社史・経営者伝 札幌展」でご講演いただいた、九州情報大学 中小企業経営研究センター 客員研究員の佐藤俊恵先生にご執筆いただき、全12回で特別連載します。
今回からスタートする【第2章:心を動かす事例―北海道光生舎の軌跡(第5回~第7回)】では、具体的な企業事例として「社会福祉法人 北海道光生舎」の歩みに光を当てます。一人の「志」がいかにして組織の「目的」となり、社会における「存在意義」へと確立されていったのか、そのプロセスを紐解きます。
【特別連載】社史は企業資産~未来のパーパスを創る歴史の読み解き方~《第7回》
前回までは、創業前期から創業期にかけて、髙江氏の「志」として形成されたパーパスが、クリーニング業という具体的かつ実践的な「目的」へと変化し、ステークホルダーとの関わり合い(エンゲージメント)が広がっていく過程を見てきました。
第7回では、事業の成長期に生じたクリーニング業界との軋轢と、それを乗り越えるための「製販分離」という経営判断を取り上げます。
こうした危機と判断を通じて、「企業授産」という北海道光⽣舎のパーパスが「存在意義」として確立されていく過程を見ていきましょう。
■事業拡大が生んだ業界団体との軋轢
社会福祉法人格を取得した北海道光生舎は、病院基準寝具の認可を受け、委託業務を開始するなど、事業を拡⼤していきました。しかし、事業の拡大は、既存のクリーニング業界との軋轢を生じさせました。
「福祉で⾦儲けをするのか」という批判が新聞にも掲載されるほどの事態となり、北海道庁をも巻き込む騒動に発展しました。
この局面で道庁の担当課長が提案したのは、営業と⼯場を分ける「製販分離」でした。しかし、髙江氏はこれに強く反発します。製販分離は、「企業経営と結合した授産」を目指してきた髙江氏にとって、「企業授産」と相反するものに思われたからです。
■猛反発の末の決断──製販分離がもたらした成長と安定
葛藤の末、髙江⽒は最終的に「製販分離」を受け入れ、営業部門となる有限会社光生舎ボランタリー(現在の株式会社光生舎)を設立しました。これが、光生舎グループの始まりです。
製販分離によって営業部門を分離したことで、業界団体との関係は円満になりました。さらに、札幌市にも商圏を広げ、リネンサプライなどの事業にも進出したことで、収益構造は安定し、経営規模も拡大していきました。
北海道光生舎は、多くの困難を、様々なステークホルダーとの関わり合い(エンゲージメント)を通して克服しました。創業から20年目に刊行した社史『激⽃─企業授産の旗を掲げて20年』(1975年)では、「企業授産は成功し定着した」と宣言しています。
北海道光⽣舎のパーパスである「企業授産」は、組織内外にシェアされ、社会の中で「存在意義」へと確⽴されていったのです。このように、創業記や社史は、単なる記録ではありません。自社の存在意義となる「パーパス」がどのように形成されてきたのか、どのようなステークホルダーと関係性を構築してきたのかを確認できる記録でもあるのです。
(第8回へ続く) 2026/6/24更新予定
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[参考文献]
髙江常男(1968)『企業授産論』北海道⾝体障害者福祉綜合センター
髙江常男(2003)『無常忍道』北海道光⽣舎
北海道光⽣舎(1975)『激⽃─企業授産の旗を掲げて20年』社会福祉法⼈北海道光⽣舎