コラム

  1. ホーム
  2. コラム
  3. 「志」はいかにして形成されたのか

公開:2026/06/03 ( 2026/06/02 更新 )

「志」はいかにして形成されたのか
― 北海道光生舎の「創業前期」をたどる ―

サブテーマ : 社史・記念誌



本コラムは、2026年2月6日の「社史・経営者伝 札幌展」でご講演いただいた、九州情報大学 中小企業経営研究センター 客員研究員の佐藤俊恵先生にご執筆いただき、全12回で特別連載します。
今回からスタートする【第2章:心を動かす事例―北海道光生舎の軌跡(第5回~第7回)】では、具体的な企業事例として「社会福祉法人 北海道光生舎」の歩みに光を当てます。一人の「志」がいかにして組織の「目的」となり、社会における「存在意義」へと確立されていったのか、そのプロセスを紐解きます。

※北海道光生舎の歩みやパーパス形成過程についてより詳しく知りたい方は、佐藤先生のご著書『日本のソーシャル・ビジネスの持続可能性』もあわせてご参照ください。


【特別連載】社史は企業資産~未来のパーパスを創る歴史の読み解き方~《第5回》 


社会福祉法人 北海道光生舎の創業者、髙江常男氏(以下「髙江氏」といいます)は、創業史でもあり自伝でもある『無常忍道』をはじめ、北海道光生舎20年史や50年史などの社史を残しています。
これらの記録から、第5回では、創業前期において髙江氏の「志」がどのように形成されたのかを見ていきましょう。



■絶望からの再起──「両腕のない新聞記者」へ

 
 物語の始まりは終戦の前年にあたる1944年12月、今から80年以上も前のことです。
 17歳だった髙江⽒は、標津町原野の奥深くで、その年最後となる送電線⼯事に従事していました。作業中、3000ボルトの電線に触れ、両腕を切断するという事故に遭います。

 命も危ぶまれるほどの大事故でした。

 一時は⾃死を思い詰めるほどだった髙江氏を支えたのは、父親の献身と、赤平にある炭鉱住宅の地域コミュニティでした。
 やがて髙江氏は、⼝にペンをくわえて字を書くことを覚え、文芸活動に取り組むようになります。その活動が縁となり、1953年に空知タイムスというローカル紙の記者となりました。
 事故から9年が経過していました。

 

■「自分たちでやるしかない」──「企業授産」の始動

 
 記者となった髙江氏は、取材を通して地域のさまざまな人の話を聞くことになります。
 赤平は炭鉱のまちでした。炭鉱事故によって障害を負う人は少なくありませんでした。
 髙江氏のもとには、求職の相談が多く寄せられます。しかし、障害を負った人の働く場を確保することは容易ではありません。
 そこで髙江⽒は、「雇ってもらえないなら、⾃分たちでやるしかない」と決意します。
 内職の域を出ない授産事業の現実を知り、絶対に成功する経営とは何か、その職種は何が良いかを考え抜きます。そして、「経済的自立と成功のためには、企業として成り立つものを探すことだ」と確信します。
 その真剣な「志」は、髙江氏を札幌にある北海道立中小企業相談所へと導きます。そこで所長の教えを受けた髙江氏の志は、「企業経営と結合した授産」でなくてはならないという強い信念となり、北海道光生舎のパーパスとなる「企業授産」計画が始動します。
 この段階が、パーパス形成過程の「志」の段階です。
(第6回へ続く) 2026/6/10更新予定
 
──────

[参考文献]
髙江常男(1968)『企業授産論』北海道⾝体障害者福祉綜合センター
髙江常男(2003)『無常忍道』北海道光⽣舎
北海道光⽣舎(1975)『激⽃─企業授産の旗を掲げて20年』社会福祉法⼈北海道光⽣舎


[執筆] 佐藤 俊恵 (さとう としえ) 氏

九州情報大学 中小企業経営研究センター 客員研究員/博士(政策学)
法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了
専門分野はソーシャル・ビジネス、パーパス論、ステークホルダー論


著書のご紹介:『日本のソーシャル・ビジネスの持続可能性』 (中央経済社)

パーパスに着目し、組織とステークホルダーが相互作用を生み出す関係性を探求。ソーシャル・ビジネスの持続可能性を支えるメカニズムを明らかにし、新たな理論的枠組みを提唱している。



コラム一覧