本コラムは、2026年2月6日の「社史・経営者伝 札幌展」でご講演いただいた、九州情報大学 中小企業経営研究センター 客員研究員の佐藤俊恵先生にご執筆いただき、全12回で特別連載します。
今回からスタートする【第2章:心を動かす事例―北海道光生舎の軌跡(第5回~第7回)】では、具体的な企業事例として「社会福祉法人 北海道光生舎」の歩みに光を当てます。一人の「志」がいかにして組織の「目的」となり、社会における「存在意義」へと確立されていったのか、そのプロセスを紐解きます。
【特別連載】社史は企業資産~未来のパーパスを創る歴史の読み解き方~《第5回》
社会福祉法人 北海道光生舎の創業者、髙江常男氏(以下「髙江氏」といいます)は、創業史でもあり自伝でもある『無常忍道』をはじめ、北海道光生舎20年史や50年史などの社史を残しています。
これらの記録から、第5回では、創業前期において髙江氏の「志」がどのように形成されたのかを見ていきましょう。
■絶望からの再起──「両腕のない新聞記者」へ
物語の始まりは終戦の前年にあたる1944年12月、今から80年以上も前のことです。
17歳だった髙江⽒は、標津町原野の奥深くで、その年最後となる送電線⼯事に従事していました。作業中、3000ボルトの電線に触れ、両腕を切断するという事故に遭います。
命も危ぶまれるほどの大事故でした。
一時は⾃死を思い詰めるほどだった髙江氏を支えたのは、父親の献身と、赤平にある炭鉱住宅の地域コミュニティでした。
やがて髙江氏は、⼝にペンをくわえて字を書くことを覚え、文芸活動に取り組むようになります。その活動が縁となり、1953年に空知タイムスというローカル紙の記者となりました。
事故から9年が経過していました。
■「自分たちでやるしかない」──「企業授産」の始動
記者となった髙江氏は、取材を通して地域のさまざまな人の話を聞くことになります。
赤平は炭鉱のまちでした。炭鉱事故によって障害を負う人は少なくありませんでした。
髙江氏のもとには、求職の相談が多く寄せられます。しかし、障害を負った人の働く場を確保することは容易ではありません。
そこで髙江⽒は、「雇ってもらえないなら、⾃分たちでやるしかない」と決意します。
内職の域を出ない授産事業の現実を知り、絶対に成功する経営とは何か、その職種は何が良いかを考え抜きます。そして、「経済的自立と成功のためには、企業として成り立つものを探すことだ」と確信します。
その真剣な「志」は、髙江氏を札幌にある北海道立中小企業相談所へと導きます。そこで所長の教えを受けた髙江氏の志は、「企業経営と結合した授産」でなくてはならないという強い信念となり、北海道光生舎のパーパスとなる「企業授産」計画が始動します。
この段階が、パーパス形成過程の「志」の段階です。
(第6回へ続く) 2026/6/10更新予定
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[参考文献]
髙江常男(1968)『企業授産論』北海道⾝体障害者福祉綜合センター
髙江常男(2003)『無常忍道』北海道光⽣舎
北海道光⽣舎(1975)『激⽃─企業授産の旗を掲げて20年』社会福祉法⼈北海道光⽣舎