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合字の使いどころ
合字(ごうじ)は、二つ以上の文字を一つの活字として扱うもの
で、欧文の組版では必須アイテムとなる活字です。例えば、「f」の直
後に「i」が来る場合に「fi」と二つの文字を繋げて合字にします。
これは金属活字で組んだ時に、これらの文字が並んだ場合、それぞ
れの頭にあるドット(点)がぶつかって隙間が空いたり、破損するこ
とがあったため、作られた合字です。現在でもこの風習が引き継が
れ、不格好な繋がり方を防ぐために合字が使用されます。
その他にも、様々な国の言語にある重母音(連続した連続した二つ
の母音)を合字で表現します。なお、ドイツ語の ck、ch も合字では
ありませんが、二つで一つの文字と言う、合字のような扱いをするた
め、字間を広げる際にもこれらの文字間は広げてはいけません。
ヴェネチアンローマンやオールドロー
マンなどの古風なタイプのローマン体
は、ローマの碑文をモデルに作成された
ものが多いので、どれも字形が似た書体
になっています。
しかし、よく見てみると、同じものを
モデルとしたのにもかかわらず、特定の
文字のエレメントが大きく異なっている
ことが分かります。中でも大文字の J、
U、W の差が大きいです。
これは古代ローマの時代に J、U、W
の文字がなく、モデルとしていた碑文
に、これらの文字がなかったためです。
ローマの碑文に存在しない文字は、それ
ぞれの書体を手掛けたデザイナーが独自
にデザインした文字となっており、それ
ぞれの書体が持つ造形の方向性の違いが
見えてきます。
なお、アルファベットの元となるギリ
シャ文字の原型が作られたのが、紀元前
800 年頃、それらがイタリアに伝わっ
たのが紀元前 600 年頃のことで、ギリ
シャ文字から 20 種類の文字を拝借して
ラテン文字(ラテンアルファベット)が
作られたようです。
その後、紀元前 27 年に古代ローマ帝
国が成立し、新たに G、Y、Z の文字が
加わり、アルファベットは 23 種類の文
字で構成されるようになります。さら
に、J、U、W が加わった現在のアル
ファベットの構成になるのは、16 世紀
に入ってからのことでした。
かつてアルファベットに
J、U、W はなかった
ワープロやパソコンがない時代は、原稿を作成する手段
が、手書きかタイプライターに限られていました。タイプラ
イターは印刷専用機として作られたものではなかったため、
打てる文字に制限があり、それらを補うために様々な工夫が
されました。
かつては、タイプライターで作られた原稿を元に、印刷の
プロが印刷に適したものに手直ししつつ、版を作成していた
ということです。
しかし、これらのワープロの慣習が誤って組版に適用され
ることがあり、正しくない組版が見られることがあります。
以下に挙げた例はあくまでもワープロの制限された機能を補
うために用いられた技法なので、印刷物に適用するのは相応
しくありません。
・インデントは 5 文字分のアキ
段落が変わったことが分かるように、タイプライターでも
アキを入れていました。しかし、インデントは固定値ではな
く、行長によって、変化させるものです(P100『段落や見
出しの考え方』参照)。
タイプライターの慣習
・タイプライター引用符の使用
タイプライターにはクォーテーションマーク(‘’/“”)が
なかったので、プライムマーク(')やダブルプライムマー
ク(")を代用していました。
・ピリオドの後にスペースを二つ入れる
カンマと同様にピリオドの後のスペースは一つにします。
・数字はライニング数字のみ
タイプライターには等幅のライニング数字しかありません
でした。さらに、キーボードに「0」と「1」がないタイプ
もあって、その場合には「O(オー)」と「I(アイ)」を代
用していたそうです。印刷物では、用途によって、オールド
スタイルの数字を使う事ができます。
・ハイフンを二つ入れて全角ダーシ
全角ダーシがなかったので、ハイフンを二つ入れて表現し
ていました。ハイフンと言っても、見た目としては半角ダー
シのような記号だったようです。
明朝体は明王朝時代の中国で作られ
た書体で、これが日本に伝わり、印刷
用書体としての明朝体が作られました
(3 号 P36『和文書体の基礎知識』)。
現在、国内で使用されている明朝体
の二大源流として知られているのが、
築地体と秀英体です。日本国内で初め
て確立した明朝体は築地体で、1872
年に設立された長崎新塾出張所・活版
製造所(後の東京築地活版製造所)で
製造されました。
実は、築地体を作った長崎新塾出張
所・活版製造所のルーツを辿っていく
と、明朝体の大元である中国ではな
く、アメリカ人が作った金属活字に繋
がります。
長崎新塾出張所・活版製造所を設立
したのは、本木昌造という人物で、彼は
1869 年に、アメリカの宣教師、ウィリ
アム・ギャンブルから金属活字の製造
法、組版、印刷方法を教わり、国内で
初めて金属活字を製造した人物でした。
それでは、なぜ、アメリカ人が日本
語の活字の製造法を会得していたので
しょうか。厳密に言うと、ウィリア
ム・ギャンブルが手掛けていたのは、
日本語の活字ではなく、中国の漢字の
活字だったのです。
この頃のアメリカの宣教師たちはキ
リスト教を広めるため、また、中国の
素晴らしい文化を取り込みたいという
目的もあり、中国で布教活動を行って
いました。
その活動の一環として、中国に印刷
所を作り、会報などを発行しており、
その印刷物を作るための活字を作る際
に、欧米のローマン体に当たる書体と
して、その時代から 200 年ほど前に
使われていた明朝体が本文書体として
選定されたということなのです(ちな
みに中国では王朝が変わるごとに使う
書体を変えていたので、当時はあまり
使われていなかったと思われます)。
本木昌造はアメリカ人が作った漢字
の活字をベースに、仮名の活字を作成
し、その金属活字が築地体のベースと
なっていきます。つまり、我々が日常
で使っている明朝体の源流はアメリカ
人が作った明朝体の金属活字と繋がっ
ているのです。
日本の明朝体のルーツはローマン体 !?
ABC JUW
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おもな合字
fi fl ff ffi ffl f 合字
fi fl ff ffi ffl f 合字(イタリック)
fi fl ff ffi ffl 合字にしていない
fi fl ff ffi ffl 合字にしていない(イタリック)
st st 合字、ct 合字
Æ Œ æ œ 重母音
ß ← ſ + s エスツェット
abc juw
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Jenson
Garamond
Galliard
Janson Text
Caslon
Baskerville
Minion
たの組トピックス
E T TOPICS E T TOPICS
Caution
Discovery
f
i
Ouch!