012 写植機の誕生 金属製の活字を組むのではなく、文字盤からレンズを通し て印字するという写植機の技術は 1890 年前後にイギリス やドイツで開発され、試作機を作る段階にはありましたが、 実用化にはいたりませんでした。 これは欧文の活字の幅が不均一なため、写植機の設計が複 雑になってしまうのと、欧文は使用する活字の種類が多くな いので、もとからあった活版による印刷で不都合がなかった ためでもありました。 Pioneers of Phototypesetting ■ ■ ■ 1924 年から1929 年に掛けて二人の日本人が中心となって世界初となる写真植字 機(以下、写植機)の実用機を完成させました。 写植が組版ひいては印刷業界にもたらした変化は多大なものであり、それは近年の DTP の導入に匹敵すると言っても過言ではありません。 二人の日本人が成し遂げた功績について今一度考えてみましょう。 活版印刷で使用されていた金属活字は収納に広いスペースを必要とした 写植 組版 にもたらしたもの 特 集 013 日本に伝わった写植機の技術 1924 年に新聞を通じてこの技術のことを知った森澤信夫 氏(モリサワの創業者)は、欧文の活字と和文の活字の違い に着目し、「一律で正方形の形状をしている日本語の活字な らば写植機の実用が可能ではないか」と考えます。 その後、会社の同僚であった石井茂吉氏(写研の創業者) に写植機の共同開発の話を持ちかけたことから、日本の写植 の歴史が動き始めるのです。 写植機完成への過程 森澤氏はすぐさま写植機の設計を手掛け、同年 7 月には 特許を出願し、翌年の 6 月に受諾されています。その後、 10 月には試作機を完成させるのですが、こうして時系列で 見ていくと、試作機の開発がとても短いスパンで進められた ことがよくわかります。 写植機の製造は石井氏の自宅を拠点に進められ、1926 には石井写真植字機研究所(現・写研)を設立します。それ から 3 年後の 1929 年に世界初の実用写植機第 1 号機を完 成させるのです。 写植機の暗黒時代 こうして写植機の開発は実用化まで順調にこぎ着けたので すが、なかなか普及せず、実情はいくつかの印刷会社の好意 で試験的な導入が試みられる程度にとどまっていました。 普及が思うように進まない中、1933 年に森澤氏は研究所 を退社してしまいます。その間、二人が作った写植機は小型 で持ち運びがしやすいという理由で、専ら軍関係の印刷物の 発行に使われていたと言われています。 ようやく日の目を見た写植機 1945 年の終戦を経て、ようやく印刷業界で写植機の導入 を望む声が多くなっていきます。しかし、石井氏のもとに写 植機の発注がきても、製造に必要な部品の大半が戦火で焼失 してしまっていたため、これに十分に応えることができな かったのです。 この状況を打破するべく、石井氏は既に大阪で写真植字機 株式会社(現・モリサワ)を起業していた森澤氏を東京に呼 び寄せ、再び写植機を完成させました。 その後、印刷物の需要の増加に伴い、写植機の導入は急速 に進み、写植機のコンピューター化を経て、写研とモリサワ は半世紀に渡り業界をリードする企業へと成長するのです。 送り装置。歯という単位はこの歯車に由来している 手動写植機の全体像 写植機の構造