2025年4月 第25号(通巻371号) Book Stories 本づくりのさきにあること─。 『小樽市立病院ガイドブック80 人のドクターが語る身近な病気と対策』 【編集者】有村 佳昭さん ほっかいどうの本    『きりんのうた』北海道新聞社 『札幌クラシック建築追想 都市と建築 老眼遊記』亜璃西社 『ファシリテーションの手引き書』共同文化社 十勝で体と心の成長を育む体操教室を運営し 開かれた大学、地域の健康づくりにも取り組む  ─ 一般社団法人 ちくだいKIP 特 集 北海道の印刷出版文化情報誌 クォータリーアイワード Quarterly 季刊アイワード
帯広市に、会員数500人を誇る人気の体操教室「ちくだいKIP」があります。 その活動拠点は、国内唯一の国立農学系単科大学である帯広畜産大学(以下、畜大)です。 10年前、畜大の教員と卒業生の2人が始めた、ちくだいKIPのこれまでの歩みと特色、体操教室を核にしながら目指す今後の 取組について、一般社団法人ちくだいKIP代表理事の山田共彦さん、同理事で畜大准教授の村田浩一郎さんに聞きました。 (文・写真/片山健一・良知貢一 取材日2025年3月6日) 特 集 十勝で体と心の成長を育む  体操教室を運営し  開かれた大学、地域の  健康づくりにも取り組む  ── 一般社団法人 ちくだいK キ I ッ P プ 中札内村でのフィットジャーニー (中札内村教育委員会提供) 「畜大教室」の風景
年に一度の発表会で成長を実感ちくだいKIPの会員は、 1 歳から 12 歳以下の子どもたちを中心に約500人がいて、この中には中学生以上の大人も約 30 人います。教えられる人数には限りがあり、多い時には100人ほどが入会を待つこともあります。体操教室は、畜大体育館のほか、帯広市総合体育館(よつ葉アリーナ十勝)、鹿しか追おい町総合スポーツセンターで開いています。子ども向けの教室は、年齢や経験に応じて「ファミリー」「ファン」「キンダー」「ジュニア」といったコースが用意され、大人向けには「otona教室」を開いています。教室を運営するスタッフは山田さんをはじめ 5 人でしたが、 4 月には新しいスタッフとして、大学を卒業したばかりの体操競技経験者 3 人を採用しました。「スタッフが増えたので、 6 月ごろから受け入れを増やして、定員を600人にすることが当面の目標です」と山田さんは話します。毎年 2 月には「KIPチャレンジ」という体操の発表会を開きます。会員の子どもたちとその保護者200~300人が見守る中、一人ずつ 2 種目を披露します。 1 つは自分が発表したいものを決め、もう 1 つは、頑張って練習すればできそうな種目をスタッフが選びます。 1 カ月前から発表会に向けた練習を始め、できないまま当日を迎える子も半数ぐらいますが、本番では“試合筋”が発揮され、 8 ~ 9 割の子が成功するそうです。「技ができた瞬間の喜びを分かち合うことも楽しいですが、普段はおとなしい子や運動が苦手な子が、人前で発表することに挑戦し、成長していく姿を見られることも醍醐味です」と山田さんは言います。声援や歓声、拍手が響くKIPチャレンジの会場は、発表した我が子の頑張ってきた過程を知る親が感極まって涙ぐむ姿も見られ、その周辺の人たちまでもらい泣きするなど、温かい雰囲気に包まれます。村田さんは「KIPチャレンジでは、みんなが本気で応援します。他人に大事にされた実感は、貴重な経験として心に残ります」と大人数の前で発表する意義を説きます。体育教員と学生の出会いにより畜大体操部創設函館ラ・サール高校から早稲田大学に入学し、 10 年在籍して人間科学の博士号を取得した村田さんは、2009年 4 月に体育教員として畜大に赴任します。「上腕三頭筋の腱の硬さをひたすら測る研究を続けていましたが、本来は人と会話することが好きで、学生たちと触れ合いたいと思いました」と教員になった動機を説明します。村田さんは、父がコーチを務める ちくだい KIP 代表理事の 山田共彦さん 帯広畜産大学の 村田浩一郎准教授 KIP チャレンジで発表する様子(ちくだい KIP 提供) 3 特集 十勝で体と心の成長を育む体操教室を運営し開かれた大学、地域の健康づくりにも取り組む ── 一般社団法人 ちくだいKIP  
函館市内の体操クラブに所属し、小学 4 年から体操競技を始めます。オリンピックに出場することを夢見て、中体連、インターハイ、全国高校選抜など各世代の北海道代表として全国大会に出場し、2004年アテネ五輪の体操男子団体総合で金メダルを獲得した鹿島丈博さん、冨田洋之さん、水鳥寿思さんとは同学年で顔なじみでした。村田さんは帯広に赴任してすぐに、十勝ジュニア体操クラブで指導を始めます。当時は小学生 5 人が所属するクラブで、大会に出たことのない子ばかりでした。「オリンピック選手を呼べば、この子たちのモチベーションはもっと上がるだろう」と、2010年 2 月に鹿島さんを帯広に招いて体操のイベントを開きます。青森県出身の山田さんは、2009年度に畜大に入学しました。「動物が好きで、動物園の飼育員になることが夢でした。高校生の時に畜大を見学して、田舎らしさを残しつつ、都市機能が整った帯広にあるこの大学が気に入りました」と畜大を志望校に定め、入学するとすぐに『うしぶ。』という牛の乳搾りをするサークルに所属します。体育の授業や実習で、村田さんと親しくなった山田さんは、体操イベントを手伝います。初めて体操選手の演技を間近で見て「こんなことができるのか」と衝撃を受け、村田さんに「バック転を教えてください」と頼みます。そこから畜大には無かった体操部をつくろうという話に発展し、山田さんが 2 年生になって間もなく、初心者ばかりの部員 5 人が集まって体操部が発足、村田さんが顧問、山田さんは初代部長になりました。総合型の地域スポーツクラブちくだいKIP始動へ畜大体操部創設から 5 年後に誕生する、ちくだいKIPも村田さんと山田さんの 2 人で立ち上げました。村田さんは、畜大に赴任する前から、「地域に開かれた大学」にしていく一環として、学内に幅広い世代の人々がさまざまなスポーツに触れる機会を提供する「総合型地域スポーツクラブ」をつくる構想を温めていました。ところが、全国大会に出場する選手を輩出するようになった十勝ジュニア体操クラブの指導などが忙しくなり、「私だけでは総合型地域スポーツクラブは無理かもしれない」と思い始めていました。その頃、 4 年生になった山田さんに就職活動をしている様子が見られません。村田さんが「どうするつも 楽しみながら運動能力を鍛えている スタッフは安全にも気を配っている 「教室」には子どもたちの笑顔があふれる 第 25 号 Quarterly 4
指導方法で参考にしたクラブなどはなく、独自にカリキュラムを構築しました。体操クラブでは、跳び箱を跳べるようにする、逆上がりをできるようにするといった目的を達成するためのカリキュラムが組まれるそうです。しかし、ちくだいKIPでは、技ができる・できない以前に、体を動かすことが楽しいと感じること、諦めずに挑戦することを最も大切にしています。山田さんは「できなくても『ここが良くなったよ』と、少しずつの成長を確かめ合いながら、楽しんで続けていくうちに、いつの間にかできるようになることが理想です」と言います。大学や地域の支援を得ながら拡大ちくだいKIPの2015年 4 月開講に向け、会員を 30 人集めることを目標に、無料体験を開くと、約200人もの参加があり、 4 月までに 90 人が入会しました。「“楽しむ体操教室”が帯広周辺には無かったので、需要はあると見込んでいましたが、いきなり 90 人もの入会があり、 2 人では手に負えないほどでした」(村田さん)。アルバイトとの掛け持ちを覚悟していた山田さんも、ちくだいKIPだけで生活できるめどがり?」と尋ねると、山田さんは「村田先生と一緒に体操を教えたいです」と答えました。山田さんは、体操部と並行して『うしぶ。』も続け、動物園の実習に行き、学芸員の資格も取得しました。「動物園の飼育員としての仕事も楽しいのですが、もっと人の喜びを直接的に感じられる仕事がしたい」と思うようになり、 3 年生から続けていた十勝ジュニア体操クラブでの選手指導を通し、子どもに接する仕事がしたいという思いが強くなったそうです。2013年 9 月に山田さんが卒業してからの 1 年半は、理想の体操教室づくりに向けた理念や運営方法の検討に費やします。教室名は、まず「ちくだい」と入れることを決め、鉄棒の「け上がり」の意味である「KIP」を組み合わせました。村田さんは「懸垂でぶら下がったところから、股関節や肩関節の反動で体を持ち上げるけ上がりは、小学生には難しい技ですが、け上がりができた瞬間のような達成感を味わってほしいという願いから、それにちなんだ名前を考えましたが、結局そのままの名前にしてしまいました」と話し、さらに、小さな子には「体操クラブ」よりも「キップ」の方が言いやすいことも理由に挙げます。 子どもたちを飽きさせない会話も大切だ 逆上がりの練習中 学校などではあまり取り組まない 「ぶら下がる」動作も積極的に行う 5 特集 十勝で体と心の成長を育む体操教室を運営し開かれた大学、地域の健康づくりにも取り組む ── 一般社団法人 ちくだいKIP  
立ち、スタートから半年後の 10 月には体操競技経験のあるスタッフ 1 人を迎えました。その後も会員は順調に増え、2019年 1 月には250人に達した、ちくだいKIPですが、新型コロナウイルス感染症の蔓延防止のため、2020年 3 月から 3 カ月にわたり教室が開けず、収入が激減し、先行きが見通せない時期もありました。それでも休校中の間、体操教室に来られない子どもたちのために、自宅で運動してもらおうと「家KIP」というライブ配信をスタートさせ、スタッフ総出で帯広市内の道路でゴミ拾いを行うなど、情報発信を続けました。教室を閉めている間もクラウドファンディングで支援してくれる各家庭にも助けられながら、コロナ禍を乗り切りました。十勝における「畜大ブランド」は絶大で、村田さんのほかに、畜大体育教員の川口亜佑子さんも、ちくだいKIPの理事として運営に参画しており、大学教員がエビデンスに基づき、やる気や忍耐力などの非認知能力を高める指導を行う信頼感は、ちくだいKIPの大きなセールスポイントになっていて、口コミだけで会員が集まります。大学からは「ちくだい」を名乗った活動の許可、体育館使用料の減免などの支援、体育会には体操教室の時間帯を避けて体育館を利用するといった協力を得ています。ソーシャルビジネスにも挑戦ちくだいKIPでは、体操教室以外の活動として、地方自治体と一緒に社会課題の解決に取り組む事業を新たに進めています。中なか札さつ内ない村では、2020年度からコロナ禍の運動不足対策として村からの委託を受け、毎月 1 、 2 回、子どもの体操教室と、大人の健康教室を開いていました。2024年度からは、民間事業者が資金を調達して社会課題を解決する事業を実施し、お問い合わせ先一般社団法人ちくだいKIP☎080─9355─7295(代表)電子メール info@chikudaikip.com HPアドレス https://chikudaikip.com/ その成果に応じて行政が報酬を支払う方式「ソーシャルインパクトボンド」を取り入れた、新たな事業を始めています。従来型の教室も人気がありましたが、大人の健康教室に参加するのは健康な人たちばかりです。行政が期待する、地域の医療費削減につながるような人たちの参加を促す施策が必要だと、村田さんは気づきます。運動が嫌いな人や運動したくてもできない人といった運動無関心層を呼び込むために必要なことを調査し、ちくだいKIPが運動プログラムを作成し、中札内村で実践した取組が「フィットジャーニー」です。村民の一部700人にアンケート調査をすると、約半数は運動無関心層でした。さらに運動をしない理由を分析すると、腰や膝が痛いといった「身体的要因」、何をすればいいか分からないなどの「心理的要因」、運動の優先順位が低い「リテラシー的要因」、介護や子育てに忙しいといった「社会的要因」に大別されました。子育て世代の参加を促すために子どもを預かる「プチKIP教室」を開いたほか、運動後にはお酒を 1 杯提供する教室など、 4 コースの運動プログラムを実践し、参加人数などあらかじめ設定した目標数値を全て達成しました。村田さんは「こうしたソーシャルビジネスにも可能性を感じていて、体操教室との二本柱でちくだいKIPを運営できれば、元体操選手だけを雇用する組織ではなく、ソーシャルビジネスや福祉事業に詳しい人、財務面に明るい人なども登用でき、より魅力的な組織になるのではと考えています」と語ります。 運動に無関心だった住民が参加するフィットジャーニー(中札内村教育委員会提供) コロナ禍に配信した家 KIP 動画のひとコマ 第 25 号 Quarterly 6