第7号
Quarterly 2
特 集
2022年に開かれる第39回全国都市緑化北海道フェアのメイン会場は、「花のまち」恵庭市です。
同フェアが道内で開かれるのは1984年の第4回札幌フェア(さっぽろ花と緑の博覧会)以来38
年ぶり2回目。全国的にも知名度が上がった恵庭の花のまちづくりは、1961年に住民が自主
的に始めた活動がきっかけでした。地元住民が設立した恵庭市花いっぱい文化協会は、その
後も多くの方々や花苗生産者に支えられ、今年で60周年を迎えました。同協会の池永允子会
長に活動の状況などを伺いました。 (文と写真・片山健一 取材日 2020年8月24日)
「花のまち」恵庭の礎を築いた
住民主体の花壇づくり
恵庭市花いっぱい文化協会 町(現横手市)出身の
7 人が、第二の故郷・恵庭を「雄物川のような美しい環境にしたい」と立ち上がりました。初代会長となる佐藤精一郎さんらメンバーは、会社や商店を訪ね「まちを花でいっぱいにしよう」と協力を呼び掛けていきます。1962年春には正会員
74 人、協賛会は
35 会員となり、協賛会が寄贈した花苗3000株を町内の花壇に無料で配布しました。さらに花いっぱい運動を推進するために、花を増やす必要があり協会直営で花畑を造成し、育てた
15 万株を自衛隊駐屯地や小中学校に配布していきました。このほか花の種や球根のあっせん、鉢物即売会、駅前や公園への球根の植え込みを実施するなど、
2 年目にして活動は一気に広がりを見せました。佐藤会長は「この運動は、町全体の運動になったからこそ成功した。花いっぱい文化協会は単にそのきっかけを務めただけ」と当時の新聞取材に答えています。設立
5 年目の1966年には正会員127人、協賛会
74 会員に達し、市役所の北側のグリーンベルト(恵庭大通線)に
5 周年記念の植樹と、現在も続く花壇コンクールを初めて開催しました。花いっぱい文化協会が発足した1961年には、花のまちづくりを
7 人で始めた「花いっぱい運動」1961年
1 月、「郷土を花いっぱい、緑いっぱい」を合い言葉に、恵庭の花いっぱい文化協会は誕生しました。2019年
9 月に人口
7 万人を突破した恵庭市ですが、当時は
3 万人弱の農村地帯で、旧漁いざり通りに商店が少し並ぶ程度でした。長い冬が終わり、雪解けとともに、土ほこりやゴミが風に舞う荒涼とした春を迎えていました。そんな街並みを見て秋田県雄物川未来の花のまちづくりを担う子どもたち(写真提供:恵庭市)